遷喬館は岩槻藩に仕えていた儒者、児玉南柯が一七九九年(寛政十一)、裏小路(現岩槻区役所の裏を東西に走る小路)に開いた家塾。のち藩校となる。県内で当時の姿のままで保存されている藩校はここだけで、一九三九年(昭和十四)、県の史跡に指定された。
二〇〇三年から二〇〇五年に解体復元され、論語教室などさまざまな市民活動に利用されている。今も岩槻城下に生きつづけている文化遺産だ。
さいたま百景選定市民委員会
遷喬館は岩槻藩に仕えていた儒者、児玉南柯が一七九九年(寛政十一)、裏小路(現岩槻区役所の裏を東西に走る小路)に開いた家塾。のち藩校となる。県内で当時の姿のままで保存されている藩校はここだけで、一九三九年(昭和十四)、県の史跡に指定された。
二〇〇三年から二〇〇五年に解体復元され、論語教室などさまざまな市民活動に利用されている。今も岩槻城下に生きつづけている文化遺産だ。